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「小さな」「幸せ」のようなテーマを取り上げる場合、作者と読者の言葉の共通理解がとても受容になってきます。それはカウンセラーと相談者の間にも言えます。互いに異なった認識で進んでいくと最後にはとても大きな距たりが残ってしまいますから。
先ず「幸せ」って何?から始めましょう。
初めての相手に解りやすく説明できますか?
ボクには到底荷が重すぎますので、引用したりしてみますと・・・宗教から。
キリスト教では18世紀にこう定義づけています。
「こうであって欲しいと思う状態が永遠に続き、所々に快感や快楽が散りばめられていること」。仏教(浄土宗)では似たような意味合いとして「安心(あんじん)」という考え方があります。「心が安んじること。気がかりなことがなくて、心が落ち着くこと。心が安らかで心配のないさま。信仰によって、心が不動の境地に達すること」
心に波風がない状態を言い表すのだとすると、その人の「欲求・願望」が充たされている状態ですので「大きい・小さい」という計り方が出来なくなってきます。個人が強く生きられるようにという教えが信仰なのだとすれば「幸せ」の形も、他と比べるのではなく個人に帰するのでしょう・・・これを本当の「個人主義」というそうです。
「幸せ」というとテーマが大きすぎて、みんなが同じ状態を目指しているように思いがちですが、それを求めるものが個人の「願望」や「欲求」だとすれば「幸せ」の形もそれぞれ全く異なったものになって当然ですね。あなたの「幸せ」と私の「幸せ」は異なっているって。
そうなると「大きい・小さい」は、他人の価値観とか比較では成り立たなくなります。敢えて個人の中で考えるとすれば、「欲求・願望」を一気に満たす出来事を「大きい」。「美味しいコーヒーができた」とか「今日は新しい靴を下ろすにはとても良いお天気」とかいう積み重ねで満タンに充足させていくものが「小さい」になるのでしょう。
「幸せ」に居続けられるには、自分の今の心の状態を摘み、何かが足りないのならばその「何か」が何なのかを常に知り、他人任せでなく、自分で充足させられる具体的な方法をいくつも用意してあることだと思います。
自分を悩ませているものにいつも心を配り、それを充足させるために今の自分に出来ることを精一杯行うことによって不安を払っていく・・・「幸せな状態」は、嬉しいことに、自分の手でたぐり寄せることが十分可能なのです!
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| 2008/4/21 |
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