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【こころ相談アンケート】
 『 コミュニケーション 』についてのショートコラム(メッセージ)です
 『 あなたのコミュニケーションの相手・・ 』
竹下 安一

 コミュニケーションという言葉を聞いた時、すぐに頭に浮かぶ言葉があります。
 『表情が見えないから電話が苦手だ』という言葉です。

 実際僕も、電話が恐いと感じていた一人でした。

 カウンセリングのかたわら、行政がやっている鬱病の会や、電話相談のボランティアに参加しているのですが、その電話相談の会の活動を続けていくうち、自分が今まで電話を恐がっていた理由がわかってきたんです。

 それは自分が電話をかけようとするときに・・
 自分が伝えたいと思っている用件を持っているうえに、自分の進めたい道筋のとおりに話をすすめようとしていたんです。

 かなり身勝手な電話をしていたと反省しました。
 コミュニケーションではなく、意思を伝えていただけだったんですね・・

 自分が伝えるということに重きをおかず、相手の話や気持ちこそが重要だと感じた時、相手の気持ちが見え、表情さえもが見えてくるように感じ、充分にコミニュケーションのできる道具として、電話を使えるようになってきました。

 同じように、コミュニケーションを充分わかっていると思っていた相手なのに、相手の気持ちが見えないうえに、自分の意思が伝わっていないと思える事があります。

 自分の気持ちを伝えることには努力をしていたが、相手の言葉や気持ちは、自分の中を素通りしていたということは無かったでしょうか?

 一方通行だったと感じた後、本当にコミュニケーションがとれた時・・
 本当の相手の姿に出会うのかも知れません。

 あなたがこれまで、自分が思い描いていたコミュニケーションには・・
 本当に相手が存在していますか?

 よく考えてみて下さい。


2007/11/29
 『 コミュニケーション 』
竹内 浩

 アメリカのTVドラマの臨場感溢れる演技を観ていると、日本人の演技の未熟さ(動きの無さ)が嫌になったことがあります。

 でも、普段の日本人の感情表現自体が外国人ほど過剰ではないのですね。 理由だけ述べても紙面が埋まってしまうかも・・・答えはそれぞれで考えてみて下さい。

 (日本語)
 「敬語」があり、「男言葉」「女言葉」があるので表現力がそれ自体にあります。
 その上、日本にだけにしかないような微妙な表現もたくさんあります。

 短歌や俳句のように、短い言葉で気持ちや情景を描出するものも豊富です。
 普通に話していても表現に困りません。

 (日本語)2
 「男言葉」「女言葉」がはっきりと分かれているため、男性は「男」を強調する必要が少なく、声の大きさや男らしい仕草をしなくとも「俺は男だ」と主張できます。 その上、男尊女卑の歴史が長いので、話し言葉自体がどんどん簡略化されていきました。

 反対に女言葉は、あからさまな感情表現を好まず、抑える方向に進んできました。(感情表現するために「男言葉」を使っていますね)

 (日本の男)
 特に長男は「長男大事主義」で母親・家族に大切に育てられてきました。 他の兄弟より我が儘が許されていました。 姉妹は、家事を手伝うのが当たり前ですから、長男は「言わなくても察しろ」の中で育っていきます。

 かくして、年齢だけは上司でも表現方法が幼児のままという幼稚な似非「大人」が増殖されていきました。

 ニュースの主役たちの行いは、公園の砂場の男の子たちと変わりません。

 (日本の女)
 ここ30年、カルチャー教室、海外旅行、職場・スポーツへの進出、能力主義・・・などで自己研鑽を積んだ女性は、その地位を上げてきました。

 元来、コミュニケーション好きなのですが、相手の男性が上手に受け答えしてくれません。
 「男女平等」「能力主義」などと訴えても男性の壁に弾き返されています。
 男性社会での「女言葉」の壁もあります。
 現代の方がコミュニケーションを閉ざされているようにも思えます。

 (日本社会)
 ここ40年の間に持ち上がったこと・・・核家族化、共働き、テレビとテレビゲーム。
 少子化・・・家庭から会話が激減、都市化とコミュニティの崩壊・・・挨拶しない。
 携帯電話、インターネット、コンビニ。・・・40才以下の人は生まれてからその中で育っています。

 たとえ60才でも、20才からの40年間をその中で過ごしています。
 年配だからといってコミュニケーションが上手にできるということではないのですね。

 その他にも。
 (間違って輸入された「個人主義」)(「美しい自己犠牲」という神話)などなど、コミュニケーションを阻んでいる原因は数え切れません。


2007/11/26
 『 つながるために 』
原田 憲子

 私たちは、コミュニケーションとは情報交換のことであり、とても重要であることを
良く知っています。

 さて、それでは何故、私たちにとってコミュニケーションは重要なのでしょう。

 それには、人間は他人の存在が必要なのだという大前提があります。
 遺伝子の中に、すでに書き込まれているのでしょうね。

 人間は、誰かとつながりたい生き物であるのです。
 そのつながりが十全であればあるほど、安心して生きることを楽しめるのですね。

 でも、相手がどんな人間かわからないうちは簡単につながることはできません。
 それぞれに好みもあるし、感性の違いや、利害関係もあるでしょう。

 人間には、原始時代の弱肉強食を生き抜いてきた用心深さがあるのです。

 そこで、「私はこういう者であり、こういう考えを持っていて、あなたに対してこういう風に感じている、私は安全な存在なのですよ」などということを、
 言葉だけではなく、身振りや手振り、視線のやりとりでお互いにすばやく情報交換(コミュニケーション)しているのですね。

 また、心理学的に私たちがコミュニケーションにおいて重要だと感じているのは、言語的なものが15%くらいで、言語以外の顔つきや身体表現などが85%くらいだと言われています。

 「目は口ほどにものを言う」と言うことですね。

 ですから、メールや電話では気持ちの全部を伝えることが難しいのです。
 良くも悪くも、誤解が生じやすくなります。

 ところで、あなたは、自分が本当は誰とコミュニケーションを取りたいのか、考えてみたことがありますか。家族や仲間や、色々な人がいて、あなたが本当につながっていたいのは誰でしょうね。

 本当につながっていたい人
と、丁寧にコミュニケーションしていますか。



2007/11/23
 『 コミニュケーション力とは 』
遠藤 紀子
今週の質問
Q3「コミュニケーション力は、どのようにして身につくと思いますか?」
についてのメッセージです。


 コミニュケーション力とは、「話す力と聴く力」自分の思いや考えを相手が理解できるように、言葉と身体で素直に伝える能力。
 そして、相手の思いや考えを、言葉や身体から素直に理解できる能力・・・と私は解釈します。

 私たちが誰かとコミニュケーションをする体験の一番初めは、多くの場合はお母さんではないでしょうか。

 もしかしたら、この世に誕生する前から、お母さんとは交流しているかも知れませんね。 お母さんの心音、お母さんの息遣い、そしてお腹の我が子にやさしく呼びかける「よしよし・・・」というお母さんの言葉や声。

 私たちは、それを聞きながら返事ができないもどかしさを、感じていたかも知れません。(?????)

 コミニュケーション力の基本的部分は、育ててくれた人との関係性の中で、おおよそ身につけていくのではないかと考えます。

 初めの段階で、話したり聞いたりという行動は、真似して見習って身につけていきますが、成長の途中からは、母親、あるいは父親、あるいは周囲の大人たちとの関係性の中で、幼いこころを懸命に働かせて、試行錯誤をしながら、自分なりのコミニュケーションのとりかたを、身につけるのではないでしょうか。

相手の話をよく聞ける、相手が理解しやすく話せる
また、相手の話が聞けない
自分の考えがなかなか話せない、自分の考えが素直に話せる
威圧的に話す、おだやかに話す
早く話す、ゆっくり話す
寡黙な
突然キレて叫ぶ
大きな声で話す、小さな声で話す
感情的に話す、理性的に話す
楽しそうに話す、つまらなそうに話す
相手のこころが想像できる(読める)、相手の心が想像できない(読めない)・・・・・

 コミニュケーションがうまくいかないな・・・と感じたら、幼いころの親や身近にいた大人たちとの関係性を見つめなおしてみてはいかがでしょう。

 そして、幼かった自分が決めたコミニュケーションのとりかたを、等身大の今の自分に合ったコミニュケーションのとりかたにつくり変えていく。

 もう一つ、身近にいるコミニュケーションの達人を真似ることも
良い方法ではないかと思います。



2007/11/23
 『 「コミュニケーション」について 』
長谷川 栄司

 私がコミュニケーションに注目するようになってから、もう2年ほど経つでしょうか。

 初めのうちは会話が続くことが大切と思い、長く話ができるようがんばってきましたが、そうすると自分がなんだか疲れてくることに気がついてきました。

 そして『コミュニケーションっていったい何のためにするのか』という疑問も湧いてきたのです。

 そこでコミュニケーションの方法を学び実践していくうちに、いたるところでコミュニケーションモドキに遭遇することに気がついたのです。

 これは、テレビでも雑誌でも起こっているようです。

 このコミュニケーションが何のために行われているのかを知っているだけでも、そのコミュニケーションが楽しくて、ワクワクしたものになると言うのに。

 コミュニケーションの技法と言うのは、一つ一つは、それほど困難を感じないと思いますが、自分の癖や習慣といったものと、たたかう必要が出てきますので、そういった意味では大変かもしれません。

 あせらずゆっくりと学んでいきましょう。




2007/11/19
 『 コミュニケーション 』
藤井 雅子

 コミュニケーションと聞いたとき、あなたはどんな人間関係を思い浮かべるでしょうか。

 人間関係には、種類があって、自分にいちばん近い家族や恋人・親友など、次に近い親戚・友人など、そして最後に、職場の人や知り合いとなります。


 コミュニケーションには努力がつきものです。いい関係を維持しようと思ったら、常に努力を、し続けなければなりません。

 草花やペットを育てるように、日々様子を見て大切に栄養を与えなければ関係は
枯れていきます。

 さて、あなたは大切な人を、大切にしているでしょうか。

 いくら大切に思っていても、それを表現しなければわかってはもらえません。
 わからないのは相手が悪いのではなく、表現しないほうに責任があります。

 ここで大事なことは、表現するときは「相手にわかるように」ということです。
 自分勝手な自己満足では、相手に何も伝わらないということです。
(ストーカーを見れば明らかですね)

 私たちのエネルギーは限られていますから、貴重なプライベートな時間は、どうぞ大切な人のためにたっぷり使いましょう。
 日中一緒にいる職場の人のことに、さらにエネルギーを使うのは、もったいないことです。

 自分のために好きなことをするなど、頭を切り換える練習をしましょう。


 しかし、自分にとっていちばん大切なのは、実は自分です。
 コミュニケーションの基本も、自分との関係だということをご存じですか。

 自分がどういう考え方をしていて、今どういう気持ちかということをいつも意識してわかっていること。

 そして、それらを自分なりに理解して自分なりの方法で処理(解決)していること。

 つまり、自分で自分を認め大切にすることが、すべてのコミュニケーションの基本だということです。

 大切な人とのコミュニケーションが上手くいっていない場合は、自分とのコミュニケーションが上手くいっていないことが多いものです。

 ぜひ、自分との対話のために、ひとりの時間も大切にしましょう。

 ひとりの時間を楽しめることが大人の証拠です。




2007/11/15
 『 「コミュニケーション」について 』
西村 憲二

 コミュニケーションは、私達の生存を豊かなものにするために欠かすことのできないものです。 コミュニケーションが不足することで、子供の病気が多発することは実験で、確かめられています。

 大人になっても、コミュニケーション能力が不足しているためにとじこもり、ニートなどの現象も起こってきていると思われます。

 そのようにコミュニケーション能力は、人間にとって(動物もそうですが♪)欠かすことのできないものです。

 そのコミュニケーション能力の、基本的な原理から解き明かし、レッスンを交えてトレーニングしていくことができます。

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「2.企業や日常の生活で求められているコミュニケーション能力とはどのようなものだと思いますか?」(2007/11/12からの質問に対してのメッセージ)

 コミュニケーションは、自分の考え、意図を、相手に伝え、相手に納得してもらうことですので、企業、家庭、どちらにも必要なものです。

 その能力は、言葉で、自分の気持ちを伝えますので、相手から受ける印象に左右されない心の状態を維持することが基本的に大事なことです。

 次に、メールにしても、電話にしても、こちらのジェスチャーは、全く不必要です。必要なことは、自分の意思、意図を明確に、無駄なく伝える能力が必要とされます。

 それは、対面して伝えることにおいても、基本的に必要不可欠なものといえます。

 次に大事なことは、相手を受け入れる能力です。

 自分の意図だけを一方的に伝えても、相手の状態を把握していなければ、それも徒労に終わることがあります。

 相手の話を充分に聴き、相手の心を解きほぐし、その上で、こちらの意見、意図を伝える能力が求められます。

 どんなに、伝える能力が秀でていても、相手の意見を聴く能力が欠けていては、一方通行になり、コミュニケーションは成立しません。

 双方向のエネルギーの伝達が、コミュニケーションですので、これも、必要不可欠な能力といえます。





2007/11/13
 『 「コミュニケーション」について 』
菊地 美代子

人と人との「コミュニケーション」ほど重要なものはありません。
すべてはここに始まりここに終わるといった感じですね。

人は母親の胎内にいる時からすでにコミュニケーションをとっています。
母親のおなかを内側から蹴って「ほら、こんなに元気だよ!」と知らせています。
生まれてからもすぐに大声で泣いて自分の欲求を満たそうとコミュニケーションをとっています。

人とのコミュニケーションは生きるために必要不可欠なのです。

実際ご相談に来られる問題で一番多いのもこのコミュニケーションに関わる問題です!

対人関係・・・親子、兄弟、夫婦、恋人、友人、同僚、上司、部下・・・
双方による問題もあれば一方的にコミュニケーションがとれない対人不安のような場合もあります。

どちらにも共通していることが人には「承認欲求」があるということです。
人に自分の存在を受け入れて認められたい、できたことを認められたい、承認されたいという欲求です。

これを満たすには相手とコミュニケーションをとることです。

どんなに「無口」「寡黙」と言われる人でも人と話がしたいのです!

もちろんコミュニケーションの方法は言葉だけではありません。
アイコンタクト、ボディランゲージ、いろいろな方法がありますね。

どんな形でもいいのです。人はみな取りたいのです。切実な思いがそこにあります。

言いかえれば「無視」されることほど辛いことはありません。苦しいことはありません。

それはコミュニケーションを一方的に断ち切られるからです!

こんな残酷なことはあってはいけませんね。

もう一度振り返ってみてください。 自分がそんな残酷なことをしていないか?


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コミュニケーションは毎日の軽い挨拶から始めましょう!

誰もが気持ち良い一日をおくれるように明るい明日につながるように・・・

朝、「おはよう!」のたった一言の挨拶から、こころがほっくり暖かくなるように・・・

待っているのではなく、あなたから勇気を出して声を掛けてみてくださいね。

きっと思いは通じるはずです。

一度で返事がなくたって大丈夫! 毎日続けてくださいね。

毎日、毎日、それは自分自身が気持ち良い一日をおくるためだから・・・



2007/11/12
 『 【 コミュニケーション 】 』
谷村 剛臣

動物達には、言葉が有るのかどうか、それは不明点ですが
観察していると彼らは、何等かのコミュニケーションをとっているように思えます。
人間には、多分退化してしまっている部分なのでしょう。

したがって人間には、言語と言うツールが与えられました。
言葉によるコミュニケーション無くして、心のコミュニケーションは取れないと思えます。

“以心伝心”と言う言葉も有ります。
“ツーと云えばカー”とも云いますがその境地まで達するまでには、非常に多くのコミュニケーションを取らなければ到達は出来ないでしょう。
それらは、特殊な関係だと思えます。

特に日本語は複雑な言語です。
そして、美しい言語でも有ります。
これをフルに活用するには、それなりの鍛錬も必要ですし、誤解を招かないように操る事も大切でしょう。

“目は口ほどにモノを言い”とも云いますね。

怒りを伝えるのは簡単ですが、愛を伝えるのには、それまでのコミュニケーションが有ってこそでは無いか?

私はその様に思います。


2007/11/5
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