こころ相談.comトップページへ
【こころ相談アンケート】
 『 子供と大人 』についてのショートコラム(メッセージ)です
 『 子供と大人 』
竹内 浩

 「子供」から「大人」。
 その二つの間にとっても大切な季節があるんですよ。

 ある人はそれを「思春期」と呼んだり、別の人は「青春」と呼んだりします。青春を語る「大人」はたくさんいます。でも「思春期」を語れる大人が段々いなくなっているような気がします。

 思春期になると、女の子は「女」の体になっていき子作りの態勢を整えていきます。男の子はそういう変化はありませんが、今までは社会的な役割の準備をしていました。共に「子供」時代からすると大きな変化があるわけです。

 親子が同じような考え方で生活していた時代は、特に伝達や確かめは要りませんでした。でも、現代は、親子が別の価値観を持って生きています。「親のように」とか「我が子だから」とかいう考えが通じなくなっています。

 通じていないことに気付かず、親子関係を行っていくと、問題になりつつある「機能不全親子」や「共依存」などの関係が知らずに出来上がってしまいます。

 「そんな大事な季節をどうして親が見過ごしてしまうんだ?」

 そこなのです、思春期の子供達の苦しさは。そこなのです、親が我が子に近寄れないのが。
 「子供」から「大人」へ。
 自由も責任も、権利も義務も、楽しさも煩わしさも、世の中の扱いも・・・立場が僅か数年で変わってしまうのですから、それに見合うだけの「変化」が必要です。

 そんな大きな変化を成し遂げるには、個人に閉じこもってのインナートリップを必要とします。また、個人という小宇宙に漕ぎ出すために、外部の人との命綱も欲しいのです。

 男の子だったら父親の(母親のも欲しい)、女の子だったら母親の(父親はそれ程欲しくない)結びつきがないと非常に不安定で、それが行き過ぎると「不登校・引きこもり」になったり「摂食障害・自傷行為」になったりする程なのです。

 そこを上手に切り抜けられないと「大人」になれずに、精神的に不安定なまま年齢上の「大人」にされてしまい、宙に彷徨っていきます。

 芋虫(子供)が蝶々(大人)に変身する前の「サナギ」が「思春期」です。大事に扱わなければいけない季節を、不作法に引き裂いて大人の価値を押しつけますか?

 「サナギ」の言い分を聞くには、今一度大人が「サナギ」になる必要があるのです。


2007/8/26
 『 思考の癖作り 』
竹下 安一

 近年、脳の研究によって、心理学の領域で扱われてきた情動が、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)の働きに関係があり、幼い頃のたくさんの情動が、発達熟成後の認知や行動に大きな影響を与えるという事が分かって来たようです。

 それは、幼い頃にIQ教育を推し進めるあまりに、EQ教育が疎かになった場合など、精神や心の問題として表出することも考えられ、3歳~10歳の脳の発達過渡期に情緒的な教育手法をとることが強く望まれます。

 特別なカリキュラムを子供の為に用意することが必要なのではなく、遊びや食事といった生活に根ざした事柄からこそ、将来、自分の礎となるような考え方の根幹を作り、考え方の癖を形成していくのではないでしょうか?


 次の2つの提案を、あなたなりに考えてみて下さい。

 あなたの大切なお子さんは、手や足で大地を感じているでしょうか?
 蛙が跳び、掘ればミミズが顔を出す、そんな大地の上で遊ばせることができますか?

 両親にとっては、人工的に清潔にされた、仮の大地で遊ばせることが楽だし、安心して放たらかしておくことが出来ますね。
 それを敢えて冒険の必要な場所で遊ばせることにより、子供は親の緊張を感じ、自分が誰から守られているかを知るのです。

 そして保護からの距離感を測り、創意工夫を始めます。

 その後に自らが作り上げたテリトリーとノウハウを人付き合いに活かし、親がデビューさせることなく社会性を磨き、人間関係を円滑にする技を会得していくのではないでしょうか?


 あなたの大切なお子さんは、日頃、口にしているものが、かつて生き物だったことを知っていますか?

 パンやご飯の素になる穀物が、水を得て陽を浴びることを喜んでいたことや、魚や鳥がどんな姿をしていて、どんな躍動美に溢れていたかを知っているでしょうか?

 植物やプランクトン(脳や脊髄の無い生き物も、鞭毛等で快適な環境を目指すことから)にも、命が吹き込まれていて、快適を望む心が備わっていることを知っているでしょうか?

 殺生をしないということが、鯨を食べないとか生き物を口にしないことで解決できる問題ではなく、口にした時に不快な茎や骨は、かつてどんな役割を果たしていたのかを理解し、自分の生が多くの善意と犠牲のうえにもたらされていることも理解すること、目を背けたり都合で逃げることが本質の解決ではなく、命を永らえ生をまっとうすることが大切だということを理解すること、幼いうちに、これらを感じる気持ちを養うことが解決の糸口なのではないでしょうか?

 学者ではないので、パーセンテージを示す程のデータは持っていません。

 でもこれらのようなことを感じることが出来るひとは、心が疲れにくく、心を病み自殺を考えた時に、踏みとどまれるものを持っていると、日々のカウンセリングのなかで感じるのです。

 日頃カウンセラーとして対峙するのは、すでに疲れてしまった方にお会いすることが多く、口惜しい気持ちになることが有ります。

 是非ご一考下さい。



2007/8/20
 『 「子供と大人」について 』
谷村 剛臣

 我々は、日本人だと言う事を忘れかけているのが現状でしょう。
 グローバリゼーションが高らかに唱えられて、本来の日本民族の属性を忘れかけているように思えます。

 世界中何処の国にもそれぞれの属性があり、その属性を大切に守っている国は沢山あります。
 自己の民族属性をないがしろにして世界に出て行くことは、裸足で歩いているようなもので、必ず破綻はたんを呼んでしまいます。

 大人が子供に対して最初にしなければいけないことは、先人が築いてきた 『日本人の道徳観』 を教える事、善悪のケジメを教え、その基本になることは 『ありがとう』 と 『ゴメンなさい』 を、外連味無く伝える術を教える事が必須でしょう。

 外連味(けれんみ)とは、ごまかし、はったりを意味します。
 昨今、何故ごまかしや、はったりが多いのか?他者を傷つけるような商法や犯罪が多いのか?
 倫理観の欠落でしょう。

 では何故欠落してしまったのか?
 効率第一主義、拝金主義じゃないですか?

 如何なる社会背景があろうとも、両親が子供のストレッサーになるような事があれば、陰湿なイジメ等は決してなくなることはないと思えます。

2007/8/13
 『 おとなって? 』
原田 憲子

 子供の頃、自分がとても窮屈で自由じゃないということに、ある日突然、気がつきました。

 本を読んでいても、ご飯の時間になるとやめなくてはなりません。
 塀に登って遊んでいても、女の子のらしくないと叱られます。
 母と祖母の話に入り込んで、「あのねそれはね」と口を挟んだら、「子供のくせに」と叱られてしまいました。

 子供時代の私は、不満だらけで中途半端だったのです。
 協調性の無いませた子供だったのでしょうね。

 一番不思議だったのは自分の心でした。
 兄弟げんかをした時です、ものすごく頭にきて腹が立って、自分のお腹の底のほうからマグマみたいな怒りが、次から次と上がってくるのです。

 感情は自分のものであるはずなのに、自分の思い通りになりません。
 静めようとしても心が荒れてくるのを感じながら、どうしようもない思いだったのです。

 ですから、私にとって大人とは、自分のやりたいことがやりたいようにできること、やりたくないことでもそれなりにできること。
 自分の心がきちんとわかっていて、感情としっかり付き合えること。
 なにより「子供のくせに」と排除されないことだったのです。

 さて、私がイメージ通りに「大人よ」と胸を張れるようになったのは、40才を過ぎてからでした。
 色々と、なんやかんやとあって、自分が大人であると思えなかったのです。

 子供の頃は、『大人になったら、自分が大人であるという自覚と自信が自然と持てるものだ』と思っていましたがそうではないのですね。
 生物学的に大人になることと、自分で自分を大人と認められるようになるのとは、ギャップがあるものなのでしょう。

 ところで、皆さんはどんな自分だったら「大人」だと思うのでしょう。
 一度、考えてみてくださいね。

2007/8/13
 『 「子供と大人」についてのメッセージ 』
原田 玲子

 時々「子どもと大人の違いとか線引きって、なんだろう?」と思うことがあります。
 体の大きさだったり年齢だったりしますが、そんな外見的なこと以外で違いは?

 昨夜、考えさせられることがありました。
 私には小6の娘がいます。
 最近、彼女は少しだけ登校時間が遅いのです。

 「今からじゃ、遅刻じゃない?」と言うと、「大丈夫」と応えていたのですが、やっぱり心配で夜に話を聴いてみました。

 5月の運動会以降、ある女の子が中心になって娘のことを無視するようにと周囲の友達に言っているとのことでした。休み時間を一人で過ごすのは寂しい、先生が授業の中で”友達とペアになって”と指示すると組む相手がいなかった・・とぽつり。

 ぽつり、背中を向けて話出しました。
 やがて緊張が解けはじめたのか泣きながら話してくれました。
 「でも、できるだけ顔をあげているんだよ。じゃないと、マイナスな気持ちでいっぱいになるから・・」と。

 それを聴いた時の私の気持ちは正直、その女の子の家に電話しようかと頭が、かっかとしていました。
 電話しようか?それとも先生に言おうか?と私。
 うぅ~ん、もうちょっとで夏休みだから。二学期になっても変わらなかったら、先生に言ってくれる?と娘。

 大きく成長しているんだなぁとつくづく感じ、それに比べ自分の幼さを反省してしまいました。

 私は”瞬間の感情”に流されてしまい暴言も吐いてしまいましたが、娘は自分の状況を客観的にみる目を持ち始めていました。

 大人だなぁ。

 大人と子どもの違いのひとつは、世界観なんだ、と思いました。
 集団の中の自分、地域の中の自分を意識できるか否かかなと思いました。

 いろいろな地域・環境でたくさんの人に出会いながら、その中で自分を見失わず、そして相手を尊重できる大人になってほしい、と母として願った晩でした。

 私もまだまだ、これから大人としての意識を持たなきゃ・・ね。


2007/8/6
掲載内容の無断転載を禁じます。