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【こころ相談アンケート】
 『継続』についてのショートコラムです
『 継続 』について(しんどいと書いたことに対して)
原田 玲子

 私は「継続」と聞くと、”続けなきゃ” というプレッシャーを感じてしまします。なぜかな?とちょっと考えてみました。

 現時点から未来に向けてその言葉を聞くのと、現時点から過去を振り返りその言葉を聞くのでは大きく違います。

 うぅ~ん、ちょっとわかりづらいですよね。

 私は結婚以来、10年日記を使っています。只今2冊目の半ばです。

 最初のスタート時は、この日記帳のどの辺りで家族が増えるのかな?引越しはあるのかな?などと将来を思い描いていました。

 友人に話すと、「よく続けられるね」と言われます。

 その言葉で「あっ、私は日記を続けているんだ」と思います。今日のページから過去の欄を見ると、継続しているなぁと思うのです。

 その反対に、残りの白い欄を見て”書かなきゃ””続けなきゃ”と考えると、少々辛くまた、つまんなく感じられます。

 「継続は力なり」・・ だからやらないと 自分の力にはならないんだよ、とスタート時点で言われると”途中でやめられない”とか”飽きたらどうしよう” ”途中でやめたら 自分は弱いのかな?” などとマイナスの気持ちが生まれてしまいそうです。

 好きなことだから続けられる、続けていたから上手にできた、と過去を振り返る時に使いたい言葉だなと私は思います。

 ちなみに私の日記帳は過去にもたくさんの空欄があります。忙しくて書けない時や気分が乗らない時は無理して書きません。

 空欄も私だけがわかる心情の記しなのです。


2007/6/4
『継続』について
坂口 るり子

「継続は力なり」という言葉が好きです。
仕事ばかりではなく、私達が生きていくこと、全てが継続ですよね。
良い日もあれば落ちこんでしまうこともある。
がんばることだけ継続ではなく、時々は心とも相談して行きつ戻りつ毎日を生きることが大切な継続だと思います。
辛い気持ちが大きい時はカウンセラーに自分の気持ちを吐き出していくことも継続の中に必要なことではないでしょうか。


2007/6/4
自分の夢に出会えたら』
竹下 安一

 自分の夢に出会えたら
 夢を持つって素晴らしいことですね。

 自分の夢といえるものに出会えること自体が、偶然の産物といえる程、滅多に出会えないものなのではないでしょうか?

 しかし、偶然にも夢を得てしまったとしたら‥

 その時から、それを実現する為の葛藤が始まっていたり、諦めるか続けるかの選択をしつづける毎日を過ごすことになってしまったり、それまでに無かったストレッサーを抱えることにもなるわけです。

 ある意味、このような困難が目の前に立ち塞がっていてこそ、夢に向かって、自分を奮い立たせる闘志が湧いてくるということなのでしょう。

 よく『継続は力也』等と言われます。
 確かに初志を継続する時、クリアーさせるべき困難が有ると、それをクリアーする度に、経験と供に喜びを得ることでしょう。

 実際には、問題のクリアーが容易に出来ない状況が、侭有ると考えられます。
 それは、自分を奮い立たせるパワーを、持続させることが出来ずに、諦めの気持ちが膨れ上がる時だとも言えるでしょう。
 こんな時に人は、極度な戸惑いや絶望感に苛まれるようです。

 これまでの苦労が水の泡だとか‥自分には運がないとか‥
 自分の実力の無さを恨んでしまったり‥
 そんな気持ちになるのも無理はありませんね。

 この時に自分の持つ夢の全てを諦めてしまうのでしょうか?
 取り敢えず軌道修正して、回り道してみることが出来れば、再度挑戦することが可能になるかも知れませんね。
 具体的にはこれまでの方法を根本から改める、若しくは一度中断してタイミングや自分の成長を待ち、新たにやり直すのも解決策の一つです。

 一旦歩みを止めることは、継続を断念するように考えがちですが、夢を諦めてしまうより、継続する為の中断と考え、自分が立ち止まることはしない。
 自尊心や優越感を小さくして、乗り越えなくてはいけないことになる筈ですから‥
 心労を考えると、とても難しいことだと思われます。

 叶うかどうかは別にして、まず夢を持ち続けることの素晴らしさを優先して貰いたいです。夢を追うあなたは、自分の夢と言えるものに出会うことが出来た数奇な方なのですから!

2007/5/28
結果として継続した、ということ』
原田 憲子

 継続という言葉には、意志を感じます。
 ですから、「目的のために継続している」という言い方が適切のように思えます。

 さて、これを逆転させて考えてみるとどうなるでしょう。
 表題のように「結果として継続した」ということです。つまり、目的を持ってはじめたわけではないけれど、後で考えるとなんとなく途切れずに続いていったものが、結果を伴ってなにかを生み出したという場合です。

 たとえば、お料理の先生になって教室をもつようになったのは、お料理がものすごく好きで先生になろうと思っていたわけではなく、教えてと頼まれて「わたしでよかったら」と始めたものが、なんとなく「継続してしまって」今に至った、というような方がいました。
 「何気ない料理の集まりが途切れずに続いてきて、こうなったのよ。不思議ね」とおっしゃっていました。

 これは、結果から過去を見る見方です。ですから、結果が出てから、あの時ああだったのはこういうことだったのかと省みるわけです。こういうことは案外人生には多いと思うのです。今起こっていることの意味は、未来に結果が出なければわかりにくいのですね。

 ですから、今あなたが問題を抱えてつらい気持ちでいたとしても、あきらめることはないのです。
 何が役に立つかわからないからです。つらい気持ちを味わったということさえも、人生を深く味うためのスパイスなのかもしれないのです。

 ところで、人間は習慣の生き物だといわれています。毎日続けていることはその人の心や体にしみこんでいきます。
 今のあなたの使っている言葉や考え方、食生活も継続しています。継続という言葉には肯定的なニュアンスがあります。

 一方で、自動的というニュアンスもあります。
 継続していることであなたをつらい気持ちにしてしまう「心グセ」というのもあるのです。
 一度見直してみませんか。

2007/5/21
「継続」について』
竹内 浩

 「継続は力なり」他にも「努力は報われる」「働かざる者食うべからず」「時は金なり」。
 これらの言葉は、日本人が大好きなもので、特に学校の先生・親御さん・経営者の方々に好んで使われてきました。
 中には人生訓とか座右の銘にされている方がいるかも知れません。

 これらの言葉は、明治になって日本人の教育のために「進化論」と共にキリスト教から入ってきたようです。
 「継続・・・」に関しては大正期のようです。明治であれば「富国強兵」「殖産興業」。戦後なら「高度経済成長」。共に急な坂道を登り続けるための「モーレツ!」な合い言葉でした。「進め!進め! 続けろ!続けろ!」という具合に。

 戦争に負けても、バブル経済が弾けても、めげずにそれらを信じ続けていることこそ「継続は力なり」なのでしょう。それはそれで素晴らしい!
 自分の信念を貫くことはその方の大いなる能力なのですから。

 ただ、今は「継続」することだけに囚われて「何を」「何のために」を置き去りにしてきてはいないでしょうか?
 以前なら、そんな複雑なことは考えなくても良かったかも知れませんが、時代の価値観が大きく変化してしまった現在においては、それらを個人のレベルで考え直すことが大切です。
 「何のための勉強?」「良い成績って何?」「良い学校、良い会社、良い生活って何?」・・・「何のために、誰のためにこのことを継続していく必要があるの?」

 多くの人が疑問を持ち始めています。自分の興味のあること、好きなことなら幾らでも「継続」できるのに、勉強や仕事でそれができないと失格者の烙印を押されるので、社会から引っ込んでしまう選択をしてしまう人が増えています。

 「継続」は力になります。でも「継続」できなくてもこだわる必要はないでしょう。甲子園の高校野球では、優勝校以外は「負けて」終わりを迎えます。
 報われないことの方が人生にはよっぽど多いのです。何かの理由で「継続」ができなくても、そこからスタートを切り直せばいい。

 そんな軽い気持ちで・・・でも、それをできる力こそ「継続は力なり」なのかも知れません。

2007/5/14
「継続」について』
谷村 剛臣

 「継続」とは「気がついてみたら継続できていた」
 何故継続が出来たのか?興味が有ったからでしょう。
 強い力で継続を義務付けられたとすれば、有機体は必ず摩擦を感覚するのではないでしょうか?

 例えば、今は就職、人事移動の季節ですが、「この職場は自分に合っていない」と摩擦を感覚することもあると思います。

 しかし、人間には、順応性と言うツールが有ります、如何に順応できるかがポイントじゃないのでしょうか?

 順応性の対極に有るのは反抗性です、反抗心が強ければ興味も湧いては来ないでしょう、結果継続が出来なくなってしまいます、これは自己にとってマイナスに成りますね。
 人生には「妥協」も付いて回りますが、単なる妥協は我慢に繋がります、我慢は、摩擦に繋がります。

「納得の行く妥協点」を探してみましょう。

「満月であらざれば月に有らず」と考えてしまいましたら良くないです。

2007/5/7
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