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かつて、家族から連想されるイメージとは、一家団欒であり、食卓を囲むあったかいイメージであったと思いますが、今日では大分、変わってきてしまったのではないでしょうか?
各自の生活時間や生活スタイルの違いから、みんなが揃う時間が減ってしまい、それがあたり前のようになってしまい、家族なのにあまり接する機会もなく、互いに何を考え、何をしているのかさえ知らないといった状況は珍しくはなくなってきましたよね。
一番身近にいる家族なのに、"心は遠く"理解されない思いを抱えながら、形だけの家族をやっていて、その家族の中での満たされない思いが、不満の形そのままに出てしまう行為が、他者や物に対する迷惑行為であったり、暴力行為であったりするとも思うのですが、いつも何か事があってから出てくる言葉は、「その前に何とかならなかったのか?」ということですよね。
家族関係がすべてだとは思いませんが、この世に誕生して最初に関わる人間が家族であり、そこで、「人は・・・である」「世の中は・・・である」といったその人にとっての基本となる信念的なものが作り上げられていく場となるのですから、原点であることは間違いないと思うのです。
そのような原点となる家族の理想を求めるとしたら、やはり一家団欒であり、「家族揃って鍋を囲み、遠慮なくつつき合え、ざっくばらんな会話が行き交うような家族」の姿なのではないかと思います。
外に出れば、職場であれ学校であれ、気を遣い、また人と比較されたり比較したり・・・いやがおうでも他人を意識せざるをえない状況があります。
そのような中で、家族みんなが、それぞれの職場や学校でのストレスを抱えつつ、家庭に帰っていくとき、家庭という場は差別やプレッシャーとは無関係であり、疲れたときには、「疲れた~」と言える場であり、楽しいことがあったときにも、「今日、こんなことがあったんだよ」と安心して話せるような場であってほしいものです。
それには優しさや思いやりのある家族関係が必要であり、信頼感で繋がっている関係であると思います。
信頼関係の中で安心して飾らない自分を出せることで、ストレスも和らぎ、また外の世界へと向かっていけるパワーや勇気もわいてくるのではないかと思います。
今、その信頼感が揺らいでしまっているために、家庭が安心できる場所ではなく、ストレスを生み出す側にもなってしまっていますが、このような世の中だからこそ、家庭・家族のあり方や役割は大きく、子供たちは、心のどこかでは、それを求めているのではないかと思います。
そして、親もまた、心のどこかでは、それを望んでいるのではないでしょうか。
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| 2007/6/25 |
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