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世界を広げないと・・・
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仕事に追われ、人生に倦み疲れ、職場の人間関係が全てだと思い、毎日をやり過ごしていることが多いのが、僕たちの日常生活である。仕事が順調なうちはそれでやり過ごせるのだが、何か不調和なことが起こると、その人の生活そのものが音を立てて崩れてしまう。
それが精神の病である。心は正直に反応する。こういうとき、その人の世界は必ずと言ってよいほど、狭隘なものになっているはずである。
自分が意識的に狭める場合もあれば、気のつかないところで、浜辺で作った砂の城が波に流されるようにして、だんだんと崩れさってしまうことだってある。それが人生さ、と居直ることも出来るが、同じ生きるなら、自分の世界観を思い切り広げてやろうではないか!いろんな表現が出来る。
生き生きと生きる、というのは、世界観を自ら広げている別の表現だ。谷崎潤一郎の小説世界のように、自らが、世界観を狭めていくことだってある。そういう人間関係も現実には存在するのである。
もうここまでくると、歪曲した美意識の世界だが、そんな人間関係もある。
心理学用語で言うと、共依存、というのがそれに当たる。
人間が共依存体質に陥ると、その人間の世界観はますます狭まる。そして、その人の人生は異様な様相を呈してくる。こうなると、生は生としての価値を失ってしまう。人間、こんな人生を送ってはダメである。
自己の世界観を広げていくためには、それなりの努力が必要になる。簡単に言うと、世界の中に自分をさらけ出すのである。裸のままの精神の有り様を世界に向かって広げるのである。
勿論、そうするにはかなりの勇気がいる。人に誤解されることも多々ある。
しかし、別の見方をすれば狭隘な世界に閉じこもっている人々は、何となくは人生をやり過ごすことが出来るのだが、自分が帰属している社会から抜け出したとき、大いなる失望を味わうことになるのは確実、だ。
これが行き詰まった時、人はうつ病を発症する。職場を退職してうつ病になるような人たちは、自分では気づいていない場合が多いのだが、何となく職場の人間関係が、自分の全ての世界像だと錯覚している場合が多いので、職場をなくすと同時に、幻像の人間関係を失ってしまう。これはキツイ。
だからこそ、世界と自己とは対峙していなければならないのである。世界と向き合うことによって、いや、世界と向き合うというのは、自分を取り巻く世界に対して、構えることなく、向き合うということであり、自分の中の最も大きな世界観の中で、自分という存在をさらけ出す、ということなのである。
いつも自分に対する点検が必要である。いま、自分は、自分の本当の気持ちを偽ってはいないか、自分は、いまを精一杯生きているか、他者を十分に受容しているか、そういう点検が必要なのである。
これには素材が必要である。ある人は映画で、そのあり方を確認するだろう。ある人は演劇で。またある人は読書を通じて新たな世界像を自分の裡に創造していくのである。
そういう意味で世界観を広げられる人は何に対しても貪欲である。また貪欲でなければ、世界観は広がっていかないのが現実だ。
どうか、みなさん、ご自分の世界像を広げてみてください。
何を媒体にするかは、みなさんのご自由に。
お互いにがんばりましょう。
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〇推薦図書〇
「闘争のエチカ」柄谷行人・蓮實重彦の対談集。
└河出文庫文芸コレクション。
変容する現在、世界を広げるための闘いと超克の思想的試みが十二分に
語られています。少し難しいですが、興味のある方はどうぞ。
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長野 安晃カウンセラー
京都カウンセリングルーム
(京都府)
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